御覧のとおり、石岡市村上は、まさに龍神山麓というロケーションに形成された集落です。村上がいつ頃から存在しているのか知りませんが、『常陸国風土記』に記された「輔時臥(くれふし)の山」(現在の龍神山との説がある)の伝説は、おそらくその山麓の村落、村上に伝わったのではないだろうかとの推察ができます。大化の改新の後、石岡の台地に常陸国府が成立した頃にはすでにあったものと思われます。村上という地名は、一説には国府より上にある村ということに由来していると言います。『新治地区神社誌』(茨城県神社庁新治支部、1992年)によると、村上神社(現佐志能神社)は承和4年(837年)に遡るといいます(同書、pp.3-4)。後に、染谷村(現石岡市染谷)が村上村から分村し、その時に、村上村は村上佐志能神社を創立し、染谷佐志能神社(分村前の村上神社)との二社に分かれたと伝えています。
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