常陸風土記の丘に石のモニュメントがあります。ここになぜ石のモニュメントがあるのか不思議に思いましたが、世界各地では石によって古代の文化が形象化されており、石岡という土地には「石」の文化が古くからあることに思い至りました。確かに石の文化は日本では外国ほどに特徴的なものではありませんが、飛鳥の遺跡などを見ると石が造形の対象となっていることがわかります。新治台地に数多く存在する古墳にも石棺があり、石がこの土地の古代文化を形作ってきたことがわかります。そう言えば、あれらの石はどこからそれぞれの古墳に運ばれていったのでしょう。そう考えてみると、これは歴史的なミステリーですね。筑波山地あるいは龍神山から運ばれた…という仮説が立ちます。今でも筑波山麓には石像、墓石の文化が根付いています。山地から霞ヶ浦*湖岸の古墳に石が運ばれたとすると、当時としては相当の重労働がそこに存在していたということになります。常陸風土記の丘が龍神山という岩山を背景に立地していることも、これらの石のモニュメントの説明になるかもしれません。ただ、石文化のシンボルでもある龍神山が、砕石という石文化の行為によって切り崩され、無惨な姿をさらしていることは大変皮肉なメッセージです。
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