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「鹿島参宮線」ルートを見立てる


分類: 〔07/03〕さようなら鹿島鉄道 地域: 霞ヶ浦エリア
(登録日: 2010/01/04 更新日: 2024/09/12)

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あれから約3年。2007年3月当時に企画した「鹿島参宮線ルート」をコンテンツ化することにしました。古くならず、むしろ鹿島鉄道廃線後3年近くが経過し、昔をプレイバックすることの意義が当時よりも増してきたかもしれません。
 

見立ての鹿島参宮ルート


<往路>
石岡駅→(鹿島鉄道)→鉾田駅→(徒歩)→新鉾田駅→(鹿島臨海鉄道)→JR鹿島神宮駅→(徒歩)→鹿島神宮
<復路>
往路の逆順
 

幻の鹿島参宮線を疑似体験


その地域の歴史や構造を検証するよい方法があります。昔、その地域がどのような構造になっていたかを探ると、そこにその時代に人々が往来していたルートが浮かび上がってきます。そのルートを現在の交通手段で近似(代替)すると、まるで年代的な地層を剥がしたかのようにある年代の地域の構造が見えてきます。

「鹿島参宮線」はおそらく昭和恐慌がなければ完成したのかもしれません。石岡町の財力がテコとなり、鉄道を石岡から鉾田まで敷設しました。これが、2007年に廃線となった鹿島鉄道(当時の鹿島参宮線)でした。鹿島鉄道の終点・鉾田駅と鹿島臨海鉄道の新鉾田駅は10分程度歩けば移動できる距離にあり、鉾田駅+新鉾田駅を乗換駅だと思えば、昔人の夢だった「鹿島参宮線」は疑似的に乗車体験することができます。

そこで、2007/03/30には、昔の人々が叶わなかった石岡からの「鹿島詣」をやってみようと思い立ち、実際に鹿島鉄道、鹿島臨海鉄道を乗り継いで鹿島神宮に詣でてみることとしました。

この計画を実施してから早くも2年が経過しました(現在は2009年1月)。幸いなことにその映像データがあり、これを少し時間をかけてでも再現してみることにします。
 

鹿島参宮線既設ルート


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撮影日: 2007/03/30


実現しなかった延伸の代替ルート(鹿島臨海鉄道)


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撮影日: 2009/03/30


参宮のデスティネーション「鹿島神宮」


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撮影日: 2007/03/30 茨城県


補足説明:鹿島参宮線という幻の参詣ルートについて


「鹿島詣」は広く霞ヶ浦・利根川流域の文化といってよいでしょう。「鹿島詣」については、『マッピング霞ヶ浦*』でもたびたび触れてきました。

☆鹿島参宮鉄道という幻の参詣ルート(2000/05/21)
鹿島神宮の求心性は、鹿島参宮鉄道の計画にもあらわれています。鹿島参宮鉄道、現在の鹿島鉄道鉾田線(石岡−鉾田間)は、当時の石岡町の財力を背景に大正時代末期から昭和初期にかけて鹿島神宮へ参詣するための鉄道路として設けられ、鉾田まで開業したところで昭和恐慌のために鉾田−鹿島間の工事が見送られその後も完成を見ることはありませんでした。その後、鹿島開発を背景に国鉄鹿島線が開通し、さらに水戸−鹿島間の鹿島臨海鉄道が開通することにより、石岡−鉾田−鹿島の鉄道路線は異なった形で結ばれたことになります。もっとも石岡から鹿島へという意味はなく、大規模な鹿島開発によってもたらされた鹿島の新たな求心性が鉄道敷設に表れていると見る方が適切でしょう。このことも霞ヶ浦*周辺地域における鹿島の特別な位置を知る手がかりになります。
 
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