中町通りのアーケードと電柱が取り払われ、昭和の看板建築の建物群が露わになってから久しくなります。その後、それぞれの看板建築群は国の有形登録文化財に指定され、建物群が地域の価値ある資源として認知されるようになってきました。
石岡の町は1929年の大火で多くが焼失し、これらの建物はその後の町の復興で再建されたものです。1930年頃に一気に建てられています。当時の石岡町は財力があり、それまで鹿島参宮鉄道の建設も推進されていました。石岡町の大火からの復興もそうした財力によりなされたものと思います。そのため、建物の質がよいこと、一気に建て替えられたため、「昭和の看板建築群」という町並み遺産としても残ったことは、全国的にも希少なものではないかと思います。
アーケードと電柱が取り払われたことにより、石岡のまちの価値ある町並みが価値づけられたことは素晴らしいことと思います。
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