国府平の森 金刀比羅神社
所在地 石岡市国府六丁目二番
祭神は大物主神。大物主神は、山と森の木という自然の生命を御神体として鎮座することを特徴とする日本最古の歴史を有する神である。当神社の古称である「森」「森木」「守木」は、神社・神木・神垣の意味があり、古来から由緒ある神城であったことを伝えている。また常陸大掾平一族、府中藩主松平家によって手厚い庇護を受けるなど多大な崇敬を寄せられていた。 文政10年(一八二七)、讃岐国象頭山(香川県琴平山)の金毘羅大権現(金刀比羅宮)の御分霊を勧請して、「こんぴら信仰」のよりどころとして多くの人々の参詣を集めている。
◇大掾氏との関わり 当神社は古く「森」あるいは「森の杜」といい、桓武天皇の曽孫平高望王が常陸大掾という官職を得て国府に着任して以来、常陸大掾氏ゆかりの神社となった。鎌倉時代の古記録である「総社文書」には平氏の歴代の子女が祭主となって神役に勤仕していたとある。
◇エピソード〜大掾氏族が守る杜 ここ金刀比羅神社の地は古くから「森の地」といわれ、森木殿があり、森木寺や八大寺という寺院が附属していた。しかし天正18年(一五九〇)、戦乱と兵火の中に巻き込まれ、森は壊滅し、長年にわたり当地を支配した常陸平氏も滅亡した。その後、平氏の後斎である別当八大院によって神社が復興され、大掾氏族の信仰を守り伝えている。
平成二十一年二月 石岡市教育委員会
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