蚕影神社
【鎮座地】茨城県つくば市神郡一九九八番地 【祭神】稚蚕霊神、埴山姫命、木花開耶姫命 【祭祀】蚕糸祭 三月二十八日(豊蚕l祈願祭) 例祭 十月二十三日 【由緒沿革】第十三代成務朝、忍凝見命孫、阿部?色命は筑波国造に赴任するや、祭政一致の政務に基づき、筑波大神に奉仕した。更に豊浦に稚蚕霊神を鎮祭し、農業と養蚕業の振興に多大なる力を注いだ。後世、山麓にはこの霊地を守護するための蚕影山桑林寺が建立された。 古来より有名な常陸紬、即ち結城紬の産出及び絹川、蚕飼川、糸繰川など蚕業に関わる地名があるのは上代を物語る証左である。同名の社は甲信陸野武総諸州の各所にあるが、それらは皆当神社の御分霊であり、それ故に当神社の御神礼に『日本一社』を拝記する。正に日本養蚕の始めと誇るところで、全国蚕業家尊崇の名社である。
萬葉集 筑波嶺の新桑繭の衣はあれど 君がみけしにあやにきほしも(巻十四・三三五〇) 土地の古老曰く 常陸なる たてと立野に織る糸は 筑波の山の錦なりけり
「金色姫」 天竺仲国の姫君金色姫は四度の受難の後、滄波萬里をしのぎこの地に着き、権太夫夫妻に掌中の玉と愛された。しかし、病に罹り終に露と消えた。ある夜夫妻の夢に「我に食を与えよ、必ず恩返しをする」と告げ、夫婦が夜明け亡がらを納めた唐櫃を開ければ中は小蟲ばかりで、桑の葉を与えると獅子、鷹、船、庭と四度の休眠を経て繭となった。筑波山の神が影道仙人として現れ、繭を練り錦にして糸を取る事を教えられた、これ日本の養蚕の始めである・・・
「各谷姫」 第二十九代欽明天皇皇女各谷姫、筑波山に飛至り神となり始めて紙衣を織られた。国人等に養蚕太神と崇め奉られた。
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