笠原不動尊
竜が剣にまきついたクリカラ不動が安置されたので、玖離伽羅山銀河寺不動院といわれ、光圀は「不動の威、厳たり」とたたえている。また光圀がここに漱石所を建てたので漱石山、地名に因んで笠原山とも号した。もと、山は深く木が茂っていて滝があったので、不動尊がまつられたのであろう。その創建は江戸時代以前であるが明らかでない。 寛文二年(一六六二)光圀は水道布設の調査を望月田恒隆に命じ、恒隆はその設計を平賀保秀に当らせた。保秀はこの不動尊に一昼夜参籠祈願して成功を祈った。 水戸下町の飲料水を供給する水道は、ここを水源地として完成し、笠原の不動尊その守護仏として、古来水戸の人々の崇敬を集め栄えていたが、後に取り払われ、その跡地には水戸神社が建てられた。 昭和になって附近の住民により、不動堂が再建された。
水戸市教育委員会
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