ある年、私は、生れてはじめて霞ヶ浦周辺の地域をおよそ半年ほどかかってめぐったのであるが、それは、私の三十数年の生涯において、かなり重要な事件の一つであった。私は霞ヶ浦地域に生れ、そうして高校生までの間、霞ヶ浦地域において育ちながら、土浦、石岡、玉造、阿見、それだけの町を見ただけで、その他の町村については少しも知るところがなかったのである。
太宰治の『津軽』をパロッてみました。我ながら思うこと。全く違和感がない(笑)。
人は故郷に関心がなくても、30歳代ぐらいになると故郷を見つめ直す成長的・内省的段階に入るのだろうか、というのは、『津軽』から想起されることです。
もう一つの動機は、ウェブサイトの自動生成というものが自己表現の強力な支援機能になるということを試してみたいと思ったこと。そう思った時に具体的なコンテンツとして故郷が対象に思い描けてきたということです。
今振り返ってみれば、生まれ故郷である出島村が町制を施行して霞ヶ浦町になる時に、そのお祝いをサイト開設でしよう、という動機がこのサイト制作のねらいに記しました。しかしながら、今から思ってみると、そういうことよりもより内発的な興味の発露、というものの方が大きかったと思います。
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