2021年から2022年、わずか2年間ながら、私にとっては苦渋の、あるいは長い中断の2年間でした。
2020年2月頃からコロナ禍が猛威をふるいはじめ、2022年の年末に至ってもなお未だにその状況下にあります。
苦渋の、あるいは長い中断の最大の要因は実父の移転と逝去が重なったことに大きな一因があります。2020年の投稿件数が1件、2021年が11件、もしかすると2022年は0件になりかねませんでした。『マッピング霞ヶ浦*』は少なくとも私が生きている間は続けるものと思っていました。しばらく更新できなかったことは、父と実家の関係が影響しています。私が毎年『マッピング霞ヶ浦*』を更新し続けることができたのはまさに父が健在で実家にいたことの恩恵であったことを改めて認識することとなりました。
|