当初から、全体の構成や発想は変わっていくだろうと予想はしていましたが、我ながら興味深いいくつかの発見的な変質過程がありました。一つ目は、「地域追体験」シリーズの発案です。ビデオから抽出した多量の画像は、それぞれを非連続的・断片的にページ化できるだけでなく、地域めぐりの軌跡のままに多量の画像をクリッピングしていく「地域追体験」は、地域体験の連続的(シーケンシャル)な関係を保持しつつ、それらを非連続的(非シーケンシャル)なハイパーテキスト構造としても組織化できることの証明となりました。1997年の半ば以降は、これに終始することになりました。ページの冗長度の高さ、画像の質の低さにもかかわらず、多くの方から良好な反響をいただいたことも、全く意外なことでした。 二つ目は、『マッピング霞ヶ浦*』の試みを通して、私自身の地域理解が深まってきたという点でしょう。普通ならば、何の気にもとめることなく見過ごしていた実に多くのものが発見されてきたということでしょう。この理解の深まりと共に、ページの内容はより詳細になってきました。「地域追体験」がその大きな転機になりました。車で地域めぐりをする間、ずっとビデオカメラを回し続けることも、この方法として編み出されたものです。これがまた<情報量の膨大化=発見的可能性の増大>に拍車をかける新たな力となり、地域理解への好転回(知識の深化・増加)を生んでいます。
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