| 2004年3月28日(日)10::00〜17:00 石岡
 主催:いばらきL3ネット
 
 工程:舟塚山古墳→愛宕山古墳→常陸国衙跡・陣屋門→総社神社→常陸国分僧寺→尼寺跡→風土記の丘
 
 案内役:歴史ボランティアの会、井坂さん
 
 1、舟塚山古墳(7世紀)
 前方後円墳、当時の豪族のお墓。霞ヶ浦から入り江が近くまできていた。舟の舳先のように前方に向いていることから入船古墳と呼ばれている。
 2、愛宕山古墳(7世紀)
 前方後円墳、舟塚山古墳に比べやや小振り。舟の舳先が霞ヶ浦に向いていることから出船古墳と呼ばれる
 3、常陸国衙跡
 石岡小学校敷地内、数日前まで発掘調査が行われていたが、元に戻されてしまった。直前に前島さんが写真を撮ってHPに載せてくれました。
 http://www.geocities.jp/s1176t2004/kokugaato/hitatikokuga.xml
 4、総社神社
 昔の参道は今と異なり反対側にあったそうです。
 男坂、女坂があり女坂は今は無くなっています。
 5、常陸国分僧寺
 参道から奈良古道、往時の様子を伝えるものは講堂跡の礎石、七重の塔の跡にはNTTの電波塔が建っています。
 6、尼寺跡
 尼寺(にじ)が原とも呼ばれていたそうです。
 府中小の子供たちが総合学習の時間で歴史を学び清掃を行い環境が守られています。
 7、風土記の丘
 鹿の子遺跡からの発掘された鉄製の武具、工房跡は
 当時、ここが蝦夷への前線基地であったことが想像されます。
 
 感想:石岡は古代(7世紀〜)歴史の舞台でした。
 大和朝廷が東国に拠点をもち土地の豪族と連携して民を治めていた様子が少し判りました。この歴史資産を
 まちづくりや観光に生かしてほしいと思います。
 
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