タイトル: タイトル一覧・霞ヶ浦の自然 動植物・地域歴史・筑波山・自然ほか: 景観・霞ヶ浦 市町村: 小美玉市 (登録日: 2004/02/20 更新日: 2011/12/10)
◆玉里の自然。文化、歴史◆常陸風土記によると、現在の玉里は田餘と呼ばれた。むかし、田餘の丘の桑原の丘にやまとたけるのみことがとどまられた時、食事をとられるのに新しく井戸を掘った。そのとき泉の水清く香ぐはしく、命が能く(よく)渟れる(たまれる)水かなと云われたのでそれから里の名を田餘と云った。(風土記)玉里は古墳も38基が確認されている。一番大きいのは舟塚古墳で、主軸の長さが84m、後円部直径42m、前方部前端幅50mと大きい。玉里に面する霞ヶ浦は、江戸時代(1625年)から維新まで御留川と称し水戸藩による直轄漁場であった。江戸幕府のはじめ頃霞ヶ浦には四十八の津(船溜まり)があり津頭の管理で漁業が行われていた。漁場や漁期などは津頭会議によって決められた。水戸藩玉里御留川は1625年この四十八津の反対を押し切って設定された。(玉里村史)内水面漁獲高は北浦とあわせて昭和48年前までは全国一位であった。(玉里村史)【注】 H18年3月27日玉里村、小川町、美野里町が合併して小美玉市になりました。 小美玉市