タイトル: タイトル一覧・霞ヶ浦の自然 動植物・地域歴史・筑波山・自然ほか: 霞ヶ浦流域の歴史と史跡 市町村: 石岡市・桜川市 (登録日: 2006/06/02 更新日: 2011/12/10)
加波山、加波山神社加波山神社まで石岡市柿岡から板敷き大覚寺のある大増をすぎ、桜川市の木植に入ると左側に加波山入口の案内板がある。舗装の山道を約5km登ると加波山神社入り口に着く。ここからは砂利道で車のすれ違いが無理な山道が約1km近く続く。待避所も少しあるが慣れないとバックがきつい。私は約20年近く前、いまは舗装になっている山道を訪れた事があるが悪路で材木の切り出しが盛んに行われていた。ほととぎすや多くの鳥の声とせせらぎを聞きながら進むと加波山系の水の流れが数カ所ある。この辺は軟質を含む花崗岩が多く、水の流れは大小の花崗岩の間をぬって透明な水が流れている。石の間からでた微量の有効元素が水に溶けこんでいる。流れの水は恋瀬川を経て霞ヶ浦に入る。●加波山神社祭神 国常立尊 (くにとこたちのみこと)配祀 伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと) 市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)境内神社たばこ神社(草野姫命)、恋瀬神社(天照皇大神)、祖霊社、金精神社その他加波山には700余の神が祭られている。古く日本武尊東征の時御神祭があり、又空海の登頂もあった。(伝説)創建は仁寿弐年三月、別当真言宗文殊院第一世大阿闍梨真郎沙弥の代で、加波山大権現と尊称。式外社として貞寛一七年従五位下。(三代実録)慶安三年七月七日徳川家光公より朱印地五石免租さる。弘化三年文殊院炎上。維新の際神仏分離により加波山神社と改称す。明治六年八月郷社に列す。同四〇年一二月村内大塚厳島神社を合祀した。(市杵島姫命)加波山は漁業関係者と農業関係者の信仰が厚い。中略。以上加波山神社参考【茨城県神社誌】