タイトル: タイトル一覧・霞ヶ浦の自然 動植物・地域歴史・筑波山・自然ほか: 霞ヶ浦流域の歴史と史跡 市町村: 桜川市 (登録日: 2007/02/19 更新日: 2011/12/10)
五所駒滝神社/真壁とひな祭り07/02(ごしょこまがたき神社)桜川市山尾字芳ヶ谷【祭神】武甕槌命(正殿)大山咋神、猿田彦命(左殿)。木花開耶姫、菅原道真公(右殿)。【境内神社】粟島神社、良平稲荷神社、稲荷神社、八坂神社、琴平神社、月読神社、甲子神社、【由緒沿革】桓武天皇二十五代の末流、千葉家平常胤の女子が真壁城主の大橡真壁六郎に嫁ぎ、その子桜井太郎良幹は鹿島大神宮を深く崇敬していた。武士である良幹は、発向の際に鹿島神宮を祈願して、真壁で最も景勝なこの地に宮柱を太敷建てた。社殿によれば六十七代三条天皇の長和三年九月十五日に勧請、高倉皇帝の仁安年中社内より芦毛の駒が現れ出て石を踏み嘶いたといわれ、又、境内に滝があったと伝えられることにより駒滝神社といわれた。【伝説】真壁城を築城した城主に男児誕生、三日三晩の祝宴が続いた。ところが七日目の夜男児の姿突然が消えた。家臣一同八方を探したところ、近くの山で多くの鹿に守られて無事な男児が発見された。沢に仮屋を建て産場を使うことになった。すると、近くの滝が「馬が来る。馬が来る」と云う。間もなく葦毛の馬二頭が現れて仮屋の前でひざまずいた。このことを聞いた城主は滝の近くに駒ヶ滝明神を建立した。以後真壁城では鹿の肉を食さなかった。【茨城県神社誌】神社の境内には筑波山麓からの冷たく透き通った水がこの日勢いよく流れていた。段差の低い人工の滝ではあるが二ヶ所ほどあった。神社の裏山には砂防ダムがある。神主さん宅が境内にあり、古建築の茅葺き屋根の下でひな祭りを公開されていた。峠の坂を下ると真壁古城あとが残されてありその周囲の大きさには驚いた。現在市で史跡の保存を進めている。