カテゴリ: 行方市(玉造・麻生他)の自然/歴史/文化他 タイトル: タイトル一覧・霞ヶ浦の自然 動植物・地域歴史・筑波山・自然ほか: 霞ヶ浦流域の歴史と史跡 市町村: 行方市 (登録日: 2006/04/24 更新日: 2011/12/10)
万葉集常陸防人の歌と歌碑・行方市◎若舎人部広足の万葉歌碑・・・行方市捻木(旧玉造)防人(さきもり)に、立たむ騒ぎに家の妹が、来るべき事を、言わず来ぬかも。万葉集巻二十(4364)難波津に、御船下ろすゑ、八十楫貫(やそかぬき)、今は漕ぎぬと、妹に告げこそ。万葉集巻二十(4363)茨城の郡若舎人部広足の歌二首(うばらきのこおり、わかとねりべのひろたり)○万葉集巻二十この巻には天平勝宝七年(755年)時、筑紫に赴いた東国の防人の歌が八四首あって、うち十首が常陸の国の防人歌である。はじめの歌碑の歌は、防人に出発しようとするあわただしさに、家にいる妻が営まねばならない家業のことを、云わないで来てしまった。と難波に着いたとき詠んだ。歌碑にはないが二番目の歌は難波の港に船を下ろし浮かべ、多くの櫓を取り付けて、もうこれを限りに漕ぎだしたと妻に知らせてほしい。そして、難波の港から差し迫った心構えで筑紫に向けて出立した。参考【万葉集常陸の歌・有馬徳 筑波書林】行方市捻木(旧玉造)は康永二年文書に「若舎人郷内根地木村」とある。参考【増補 茨城の地名 江原忠昭著 耕人社S51年】◎卜部広方の万葉歌碑橘の、下吹く風の香ぐはしき、 筑波の山を、恋ひずあらめかも。万葉集巻二十(4371)助丁(すけのよぼろ)卜部広方歌の意は橘の、下吹く風の香ぐわしいように筑波の山を恋いずにいられようか。参考【玉造町史料写真集・玉造教育委員会他S51-3月】立花郷=行方郡玉造町羽生が羽生が本郷(別字・橘郷、橘荘)、倭名抄に「常陸国茨城郡」内とある。立花村=旧玉造町内大字浜、八木蒔、羽生、沖洲。橘村=東茨城郡小川町内大字幡谷、与沢、山野、外之内、倉数、川戸。参考【増補 茨城の地名 江原忠昭著 耕人社S51年】