ササバモ・霞ヶ浦。小美玉市下玉里94/8/20
小美玉市下玉里稗倉湖岸付近にたしか90年ごろまで共同豚舎があった。この前あたりの湖岸には不規則な石畳状のコンクリートと不規則なゴロ石が敷かれてあった。この間には砂利とシルト状の土が詰まり、ササバモがかなり見られた。ある時期は水中にも多く見られたが風波が強いとちぎれて打ち上げられたり、流されてしまった。そして、自然のなかで増減していた。水をかぶる石の間のササバモはやや丸みを帯び半陸生型だった。この後数年して湖岸堤がコンクリートになってササバモは姿を消してしまった。(過去、一部重複) 稗倉の名は平山付近には大きな稗倉(ひえくら)がいくつもあったと伝えられている。水戸光圀が凶荒に備えて最初に建てたとされる。(玉里村史)この付近は陸海とも水戸藩の管理下にあった。
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