川口川の存在は、今となっては昔話となりました。現在の土浦市営駅東駐車場(立体駐車場)の北側が川口川河口域の跡になります。常磐線が建設された明治時代、霞ヶ浦の水害から市街を守ることを目的に防波堤の役割を果たすよう土盛りした路線を湖岸側に通し、川口川河口域を跨ぐ橋の位置には川口川閘門が設けられました。『目で見る土浦・石岡・つくばの100年』(1997年、郷土出版社)には、1903年(明治36年)当時の川口川河口付近の貴重な写真が載っています(p.41)。この写真は、現在の港橋辺りの風景を撮影したもののようです。この写真を見ると、川口運動公園(岡本埋立地)周辺の埋立はまだ行われておらず、河口の突端部に鳥居が立ち、その先には霞ヶ浦の流域が広がっています。川口町の家並は河口域の突端にまで続き、河岸には汽船などが停泊して水運で賑わっていた当時の川口川の状況をうかがい知ることができます。また土浦港の湾部として入り込んでいた流域が確認できます。 現在の川口川河口域跡には土浦高架道が通っており、川口川閘門跡には閘門の遺構が保存されています。説明版らしき石碑の文面部は、石が腐食して文字が全く読みとれませんでした。
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