中城町の不動院は非常に幅の狭い敷地の中に建っています。この参道の真正面には大徳呉服店の建物が面しています。大徳の真正面から始まる幅狭の参道は、土浦城下の町人町の佇まいを現在に伝えています。不動院の建物は現在では味もそっけもないコンクリート造りに変わりましたが、この建立は土浦の歴史と同じぐらいの長い歴史をもっています。後日、この歴史的背景を知りました。 「中央二丁目にある滝泉寺は、応永十三年(一四〇六)法泉寺祐尊またはその弟子興誉の開山と伝えられる。(略)この滝泉寺の管理下にある中城の不動院は、その山号の中条山から推して永享中、若泉氏によって開山されたとみても不都合はない。山号を地名で称することは多く、また不動明王は悪魔を払う仏だから、領主の館ないし中条集落の守り神として尊崇をうけたものであろう。したがって、この不動院も寺伝の時期に近い創建と考えてよいように思われる。」 (永山正著『土浦の歴史』、東洋書院、1982年、p.119) 信太荘土浦郷の豪族で土浦城主だった若泉氏による永享年間の創建とすると、旧桜川(埋め立てられる前の川口川)の河川付け替え工事を行った若泉三郎(→「〔99/01〕亀城のシイ」参照)よりも前の年代の創建ということになります。中城町が町として発展する以前の一集落に過ぎなかった時代、既にここに建っていたことになります。
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