土浦城には幾重にも堀が巡らされていましたが、現存する堀は、本丸跡と二の丸跡の間の一番内側の堀、二の丸の外側に巡らされていたこの堀だけになりました。堀を隔てて二の丸と対していたのは西郭と三の丸(旧内西町)です。こうした城跡の堀は全国の多くの城跡にも残っていますが、土浦城の堀は、いわゆる掘割でなく、自然の川筋を活かして設けられた堀である点で、他の城の堀と見た目には大差ないとしても、大いに性格が異なります。前ページで、15世紀の土浦城主・若泉三郎について触れたとおり、かつては旧桜川(旧川口川)の川筋の一部を成していたのでしょう。この堀筋は旧桜川の川筋からは少しずれているので、支流のような川筋だったと思われます。この平凡な堀の風景にも、水郷都市・土浦の痕跡が残っています。
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