土浦城祉を出て、旧内西町、土浦小学校の前に出ました。この一画は、土浦城内の西郭〜三の丸になります。江戸時代に入ってから、徐々に武家屋敷の区画として整備が進みました。1977年の住居表示法施行までは近世以来の内西町という町名が残っていました。土浦小学校の前の道筋は近世の西郭の道筋と同じです。武家屋敷のメインストリートと考えていいでしょう。現在の区画にも武家屋敷の整然とした区割りの輪郭は残っていますが、小学校の敷地が広く、古い建物がないことから、やはり昔の風景は想像してみるしかありません。土浦小の南側は、土浦城三の丸の外側の堀になっていました。校舎が幅狭の庭を挟んで道路と接している辺りにも、三の丸跡を継承した敷地の特徴があらわれています。
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