旧水戸街道は高津から桜川に架かる銭亀橋を経て、大町→田宿町→中城町→本町→仲町→田町→横町と続き、さらに真鍋へと延びていました。水戸街道は、土浦城下をちょうど土浦城を迂回するように、城の周縁に形成された町人の町を抜けていったわけです。土浦の町は、城下町という性格の他、水戸街道の宿としての性格を持っていました。中城町はさらに霞ヶ浦からの舟運というアクセスも加わって、土浦の商業・交易の中心地としても繁栄することになりました。土浦信用金庫の前に「水戸街道と町並み」という碑がありました。この碑文は「碑文クリップ」に採録しました。焼失した吾妻庵が再建されたことにも感銘を受けました。この話題については、「今と昔を比較して見ると:〔99/01〕再建された吾妻庵」をご覧下さい。
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