[ 分類(共通)へ戻る | ←← | →→ ] [ 分類(共通) | 撮影日(2003/08) | 登録日(2004/04) ]

『マッピング霞ヶ浦*』2003年を振り返る

分類: 共通ページ
(登録日: 2004/04/26 更新日: 2024/04/07)

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このページのデータはCCライセンス4.0で提供されています。


撮影日: 2003/08/07 北浦湖上


霞ヶ浦*の「感動」


2003年の中で最も印象深いのは霞ヶ浦*の舟航体験です。舟航体験ほど霞ヶ浦*の豊かさを肌身で実感できる体験はないと言っても過言ではありません。そうです、「感動」。感動こそが知的好奇心を育み、認識を深め、表現を豊かにする原動力です。上の映像は北浦の湖心に立った時の様子。北浦の湖面のビリジアン色の美しさに皆で感動しました。がいあ船長の笑顔が素敵です。感動を表現しているからです。がいあ船長のおかげで、がいあII世号には2度乗せてもらいました。最初は1/2。次は8/7-8。いずれも動画でその体験の様子をネット配信しました。
→『かすみがうら*ネット記録アルバム
 

勘十郎堀探訪


このサイトにはまだ掲載していませんが、かすみがうら*ネット関連の協働学習企画「勘十郎堀探訪」も思い出深いものです。これもビデオのネット配信をしました。後に「いばらきL3ネット」を作られたe-idobataなどの皆さんが参加しました。涸沼と北浦を内水面でつなぐ運河が江戸時代に建設されたことは興味深いことです。舟航で離れた地域が密接につながっていた事実。歴史認識をかき立ててくれます。その失敗もまた歴史に何を学ぶかを私たちに語りかけています。現在、霞ヶ浦導水事業が進んでいます。もしかすると勘十郎堀の二の舞になる可能性があります。温故知新です。人間は賢くありたい。

この日の幹事さん・石川愼二さんのノリまくった語り、また、石川さんの直撃取材など、学習会自体が魅力的なコンテンツとなる情報発信ができることを証明できた得難い体験ともなりました。
 

豊かな成果、少ないMyサイトの成果


日頃は山形に暮らしています。この年、2003年ほど茨城に帰った回数の多い年はありません。故郷を離れ、長らく東京、その後は山形を住まいとしてきました。茨城に帰る回数が多くなった一方で、私のサイト『マッピング霞ヶ浦*』はどうなったかというと非常に寂しい限りです。殆ど更新ができませんでした。更新機会が多かったのは、『かすみがうら*ネット記録アルバム』(かすみがうら*ネットの記録サイト)です。

『マッピング霞ヶ浦*』の更新が減ったのはそれが理由の一つ。もう一つは、会議など私個人で行動するのでない用事が多かったことです。勢い時間も使えば記録のための時間も総じて減る、という相対的な関係があります。人一人の行動時間には当然ながら限りがあり、どこかへしわ寄せが行きます。ということで、Myサイトの滞りを慰めることにしましょう。
 

琵琶湖などの他の湖


いつも「霞ヶ浦*」を私の目線で捉えてきました。まだまだ記録するものは限りなくあるとはいえ、霞ヶ浦*をもっと第三者の視点、より包摂的な視点で捉えてみたいという願望も湧いてきます。とりわけ他の湖を探訪してみることで、霞ヶ浦*をその横並びに置いてみたくなります。2003年は縁あって琵琶湖、諏訪湖、八郎潟などを訪れました。琵琶湖には3回も行く機会がありました。このうち、琵琶湖は「03/06琵琶湖からのレポート」に一部をレポートしました。ただ、私個人の目で見聞した「私個人のレポート」という趣向ではありません。これが未着手なのが残念でなりません。ただ振り返ってみれば、毎年、私が『マッピング霞ヶ浦*』に紹介したものは、ほんのごく一部に過ぎず、年間1万ページも量産しても、それは全記録量の10%にも満たなかったということを思い返してみれば、相対的な量の多少の差に過ぎません。どんなに情報の生産性が増大しても、克服できない限界量の問題の解決に至りません。PopCornの導入によりサイト制作の生産性が劇的に向上したために、ビデオ等で記録する量も劇的に増やし、消化できる量は増えても追いつかなくなる「いたちごっこ」を自ら招いたと言えます。
 
[ 分類(共通)へ戻る | ←← | →→ ] [ 分類(共通) | 撮影日(2003/08) | 登録日(2004/04) ]
[ ホーム| | XREF目次 ]
[ かすみがうら*ネット ]
グーグル サイト内検索
[ LinkData『マッピング霞ヶ浦*』ページ一覧マップを見るRDF(Turtle)RSS1.0形式テーブルデータ(TEXT) ]