がいあ船長は横利根川に針路を向けました。いよいよ横利根川に入ります。新横利根閘門を通過すると、いかにも運河という雰囲気の流域に変わりました。ところで、横利根川は運河? この旅を終えた後、日を追うごとにこの疑問が湧いて来ました。横利根川は地図で御覧いただければわかるように、いかにも霞ヶ浦と利根川をショートカット(直道)した水路に見えます。また現在の横利根川の佇まい。数多く停泊する船といい、整然とした人工的な感じといい、川筋の両端に閘門が設けられていることといい、川筋の様子はまさに運河です。 横利根川の周囲は昔の十六島。元々、水域だったところが土砂の堆積や十六島の開拓などで陸と化したところです。『利根川図誌』(赤松宗旦、安政年間)の地図には「ヒタチ川」と記されています。また、『水郷十六島の農民(上)』(箕輪徳二郎、筑波書林、1980年)には当時の利根川の本筋は横利根川−北利根川−外浪逆浦だったという面白い指摘があります。 「三百年前の利根川は佐原地先、現在の水郷大橋付近で大きくカーブし、横利根−北利根を通って二重谷と加藤洲の二つの洲を中にして浪逆浦へ流れ込んでおり、現在の利根川下流は佐原新川と称する形ばかりの小川が見えるのみであった。」(p. 4) 不思議なことに、手元の霞ヶ浦関係の資料などを調べて見ても、横利根川に関して触れた記述が皆無というぐらいに見当たりません。どういうことなのだろか、と、逆にそのことにも興味が湧きました。 この時の様子は動画でも紹介しています。 →「横利根川に入る::北利根川→横利根川」
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