石岡市井関から石川にかけては直線上の湖岸線が延びています。この湖岸の田圃は、八木干拓地です。八木干拓事業は、1921年(大正10年)に着工し、1930年(昭和5年)に竣工しました(面積約60ヘクタール、レイモン・アザディ『霞ヶ浦の系譜』による)。高浜入では、八木干拓に少し遅れて、高浜三村干拓(1925年〜、約126ヘクタール)の工事も行われています。高浜入は水深が浅く、流域の出口が狭いことから干拓地に適しており、1960年、農林省が高浜入干拓計画を発表し、その後、昭和40年代に干拓事業が推進されかけようとしていたことがあります。今になってみれば、高浜入干拓事業が中止されたことは幸いでした。幻の高浜入干拓については、機会を改めてご紹介することにしましょう。
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