この白いドーム、何かおわかりですね。そう、東京ドームです。現在の東京の後楽園には、後楽園遊園地、東京ドーム、後楽園(庭園)などがあります。実は、この敷地は昔はそっくり水戸藩邸の敷地でした。江戸時代の地図と見比べてみると、水戸藩邸と現在の後楽園の敷地の形状が殆ど一致していることがわかります。水戸家は徳川の御三家の一つでした。しかも、「天下の副将軍」という特別な地位を与えられていました。そのため、水戸家だけは参勤交代がなく、水戸の殿様は代々、江戸屋敷に住まうことになったわけです。驚くことに一度も水戸を訪れなかった殿様もいます。有名な二代目藩主・水戸黄門こと徳川光圀は、この水戸藩邸で『大日本史』の編纂事業を始め、隠居してから現在の茨城県常陸太田市に残る西山荘に移り、編纂を続けました。この学術事業と御三家としての江戸屋敷の格式維持のために、水戸藩の財政は逼迫し続けたと言われています。また、水戸が顧みられることがなかったために、水戸城は貧相なままに幕末を迎え、最後の将軍・慶喜の父でもある徳川斉昭の代になって初めて水戸城下の整備が行われたのでした。水戸藩は日本の歴史とも密接に関わり、それだけでも非常に興味深いものがあります。しかし、ここでは、この程度の解説に留めておきましょう。プロ野球の巨人戦を見たら、巨人の本拠地で水戸黄門が『大日本史』を編纂したんだと思い出してやって下さい。
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