「弱々しい猿を、猛々しい鷲が襲うの図。(略) こんなにも殺生な彫物が何と、それをもっとも忌み嫌う筈のお寺に、しかも常陸国分寺という有名なお寺の、しかも多くの人が通る唐門の頭上に見られることに気がついた人は少ないのではないでしょうか。」 (一色史彦著『茨城の古社寺遍路(上)』、建築文化振興研究所、1994年、p.33) 確かにこの彫物に描かれた図の意味にまでは思い至りませんでした。一色さんの上の解説に触れて、改めてこの彫物の存在を再認識した次第です。上に引用した一色さんの解説には、この図は殺生の図ではなく救済の図であるという落ちがあります。 「こわい鷲は何と、あの慈悲深い観音様の化身であり、弱々しく見える猿は、煩悩に身を焦がした人間の姿なのであります。」 ところで、前ページの「旧千手院山門」でも触れたように、この山門は現在国分寺の中にありますが、旧千手院にあった山門です。この蟇股彫刻も千手院の時代から伝わるものなのでしょう。
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