石岡小学校の敷地は、常陸国衙跡であると同時に、中世の府中城の跡でもあります。城というと江戸時代を連想しますが、江戸時代の府中松平藩は城を持たず、この敷地には陣屋が置かれていました。石岡市教育委員会の「市指定史跡 府中城の土塁」説明板によると、「府中城は、正平年間(一三四六〜一三七〇)大掾詮国により築造されたといわれる。天正十八年(一五九〇)十二月大掾清幹が佐竹義宣に攻められて落城した」とその歴史を伝えています。現在も残る土塁はその城郭の跡です。石岡市内に残る古代の史跡をめぐってみて、古代の面影を偲ぶことはできませんでしたが、中世の遺構が、このようにはっきりと形を残しているのを目の当たりにすることができるのは感動的です。土塁の頂に生える樹木の根が長い歴史の中で雨風に洗われ、むき出しになっています。ちょうど樹木の部分だけが小高くなっていることからも、周囲の土塁が雨風に崩されて低くなったことがわかります。樹齢も相当なものではないでしょうか。気持ち悪いぐらいに見事なこぶが幹に出来ている樹木もあります。
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