霞ヶ浦を隔てて、新治郡(にいはりぐん)かすみがうら市(旧霞ヶ浦町)の北に位置するのが行方郡(なめかたぐん)行方市(旧玉造町)(たまつくりまち)です。陸の間は、わずか数キロの距離しかありませんが、人の行き来の非常にしにくいところでした。旧出島村(かすみがうら市(旧霞ヶ浦町))側では、行方市(旧玉造町)は「向こう場」と呼んでいました。いまだに、そう呼んでいる人もいると思います。「向こう場」という呼び名には、近くて遠い向こうの場所という思いが込められています。昔は、柏崎から県営の渡し船「出島丸」が出て、人々の大切なアクセス手段となっていました。霞ヶ浦大橋ができてから、状況は一変しました。さらに、大橋の向こう側に、何やらタワーらしきものがこの頃から建設され始めました。「霞ヶ浦ふれあいランド」です。このタワー、虹の塔は、平地ばかりだったこの周辺のランドマークとなり、はるか遠くからでも眺望することができます。渡し船ももうありません。今の若者たちは、もう「向こう場」とは呼ばなくなったのでしょうか。昔の記憶がまた一つ消え去った感じです。
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