明円寺 明法房開基二十四輩十九番大澤山明圓寺 浄土真宗本願寺派 〔注〕 二十四輩十九番は親鸞聖人の弟子24人の内の19番目の弟子
明法房とはもと修験者の先達弁円で常陸金砂郷の城主佐竹末賢が久慈西の郡塔の尾楢原谷に護摩堂を建立し弁円を招き祈祷所を設けた。これがとても栄えた。 親鸞聖人が健保2(1214)新潟からの帰途笠間の近くの稲田に草庵(現、西念寺)を建て布教をはじめた。これがまたたく間に広まった。稲田の草庵から数キロ離れたやはり親鸞布教の草庵、板敷山大覚寺に弁円は出向き親鸞を狙ったと伝えられている。しかし、たちまちにして親鸞聖人に帰依するところとなった。親鸞聖人は稲田から大覚寺を通り、柿岡、国府(石岡)でも布教した。(本願寺報11月号より一部引用)
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