タイトル: タイトル一覧・霞ヶ浦の自然 動植物・地域歴史・筑波山・自然ほか: 霞ヶ浦流域の歴史と史跡 市町村: つくば市 (登録日: 2006/03/27 更新日: 2011/12/10)
筑波山ガマ公園・筑波山とガマ慶長時代秀吉の天下の時、筑波山は佐竹の領分であった。家康は関ヶ原の戦いに勝ち天下を取ると筑波山を徳川家の祈願所と定め、慶長7年11月(1602)寺領500石を知足院中禅寺に寄付をした。 家康は奈良から宥俊という僧を連れてきて中善寺の住職にしたが、その後、慶長16年に光誉(こうよ)上人が変わって住職になった。その後大阪冬の陣、夏の陣に光誉上人も従軍した。光誉上人は戦いで傷ついた人々をこう薬で救った。ガマ上人として親しまれた。その後徳川家のある江戸、芝白金に家康が寺院を建てて上人を住まわせた。そのご、代々の住職はみな江戸に住み筑波山には院代において社務を執らせる事になった。筑波山は江戸時代大繁栄をした。〔引用:木村繁・筑波山・朝日新聞水戸支局・ 崙書房・復刊1977/10版、初版は1959/3〕ガマの油の伝説・永井の平助(光誉上人没後7,80年後)のこともこの中にあります。Oガマ蛙は現在も茨城県内では良く見かけます。産卵はソメイヨシノの咲く2週間ほど前から池や水たまりに出て長い帯状の卵を産卵します。