タイトル: タイトル一覧・霞ヶ浦の自然 動植物・地域歴史・筑波山・自然ほか: 桜川/桜川源流・霞ヶ浦水系 市町村: 桜川市 (登録日: 2006/11/21 更新日: 2011/12/10)
羽鳥道・筑波山桜川市真壁、羽鳥からの登山道 桜川の源流、男女川と男川がある。筑波山羽鳥道入口付近は昔、平良兼の居城があり、平国香や平将門の乱の戦場となった。桓武天皇から五代目の国香や良兼の身内の戦い、天慶の乱(てんぎょう)はここから始まった。この真壁口羽鳥登山道は古代は筑波の登山口として栄えていた。途中には男女川の源流があり男体山からは男川、女体山からは女川が流れ羽鳥の上方で合流し男女川となった。以上【参考文献】将門地誌。(著者)赤城宗徳。(発行)毎日新聞社S47年5月20日”つくばねの峰より落つるみなの川 こひぞつもりて 淵となりぬる。” 陽成院男女川については真壁口説、現在の筑波口説、恋瀬川説等があるようです。私の所有する『筑波山恋明書』貞享4年)(1687年)・大正9年稀書複製會・発行米山堂にも男女川が出ています。この年は松尾芭蕉が鹿島を訪れた年です。とつこ水 筑波山之名所 重正男女の川ちきれ/\みなの川辺のおもひくさ 正次されは世に名をやながせし男女の川 忠之こひころもせんだくのため男女の川 同男女の川水やかせなや恋のみち 同此川を下にてせき入小田へ水かくるを見て男女の川水のかよひのせき所かな【注】筑波山恋明書の訳文については菊池真一氏の訳文を参考にさせて頂きました。●菊池氏の筑波山恋明書の訳文です。男女川はこの当時下流でせき止められていて小田方面に水が行っていたのでしょうか。私の蔵本で”筑波誌”、明治41年発行、著者、杉山友章、発行所、筑波山神社では女男川(みなのがわ)また、別本”筑波山”明治37年秋刊行、著者、岩上方外、交通世界社でも女男川となっています。書物では男女(おとこおみな)の女(みな)からみの字をとり、男(なん)からなの字を取り男女川になったのでは(筑波誌)と記されている。男女川のことも男体山に登りながら検証すると面白いでしょう。登山、散策で注意が必要なのは筑波山は国定公園であり登山道が決められている。