タイトル: タイトル一覧・霞ヶ浦の自然 動植物・地域歴史・筑波山・自然ほか: 最近の写真 市町村: 霞ヶ浦(全般)・複数市町村 (登録日: 2007/02/17 更新日: 2011/12/10)
◎「霞ヶ浦の自然」が14回マイタウンマップコンクールで文部科学大臣賞(生涯教育の部)を受賞しました。1,MAR.2008◎第11回いばらきデジタルコンテンツソフトウェア大賞2007で”霞ヶ浦の自然”がいばらき特別賞を受賞しました。●"メールto霞ヶ浦の自然"
古くから続いた地域の鉄道が消えることはさびしいことである。 ●さよなら鹿島鉄道東田中駅から鉾田へ
車で通るとつい通り過ごしてしまう静かなカントリーのみち。辻を曲がるとそこにはもうひとつの素晴らしい自然がある。静に垣間見るだけなら許されるかも知れない。筑波山系はスケールか云うと大きくはないが少し移動するとそこには次の景観が待ち受けている。細い川があった。釣り糸をたれると立て続けに綺麗な魚が釣れる。放流して次の小さな旅へ。そうだ、これから加波山に登ってみよう。 ●恋瀬川源流と景観・山河は心の安らぎ/川遊びへ
つくば市沼田と桜川市羽鳥に男女川橋が2ヶ所ある。写真は桜川市羽鳥(真壁)の男女川脇に保存された男女川橋、明治43年 ●二つの男女川、筑波山・つくば市、桜川市
筑波山スカイラインR236風返料金所近くの姥ヶ峰地蔵尊付近から富士山と関東平野の自然。 ●5月の富士山筑波山からの眺め2007へ
常陸国衙跡の発掘調査説明会・大きな建物跡●常陸国衙跡発掘終了。大型の国衙跡確定的07/03
早春の石岡市内小学校の校庭でソテツの大きな花が咲いていた。 ●霞ヶ浦の自然/ソテツの雌花・早春の校庭
つくしこは筑波山のすぐ近くにある(桜川市椎尾)霞ヶ浦から取水の池(南椎尾調整池)で自然の景色がよい。 ●霞ヶ浦の自然/つくしこ(南椎尾調整池)桜川市椎尾
急に天候が暗くなりはじめ、強風になってきた。ヨシキリは人が近づいても天を仰ぎさえずっていた。 ●霞ヶ浦の自然/ヨシキリの写真2007●ヨシキリの声・ムービー2007へ
夕暮れの恋瀬川河原は筑波山がきれいだった。 ●恋瀬川、夕景の筑波山2007へ
霞ヶ浦系の河川に棲むナマズの仲間ギバチ。今年はおおくのギバチに遇うことができた。 ●ギバチ・愛きょうのある霞ヶ浦流系の魚へ2007
霞ヶ浦の帆引き船、ワカサギ漁は霞ヶ浦を代表するものだった。 ●あゆみ祭りとほびき船・ホワイトアイリス号でへ2007
オニバス池に白いオニバスが出現した。 ●白いオニバスへ2007
西蓮寺7日間の常行会と駕籠行列・行方市延暦年間(782)に開創されたいばらきの古刹(玉造)西蓮寺の伝統行事●西蓮寺7日間の常行会と駕籠行列・行方市へ2007
◆うり坊はかわいいけど。背筋が寒い。 子連れのイノシシにぱったり。双方びっくり。撮影失敗の巻。・・・筑波山系浅間山●昼間ついに出たイノシシ!浅間山、筑波山系へ2007
アサザと筑波山−霞ヶ浦/行方市浜07/10/16。 行方市浜(玉造)のアサザは1990年後半、霞ヶ浦の多くのアサザ群落が消滅したが数少ない残された群落のひとつです。当時は同じ行方市井上(玉造)にも群落がありましたがここの群落の場合、誕生してから数年目に大きな台風による被害と思われる原因で消滅しました。台風のあとおおきなアサザのかたまりが岸に流れ着いていました。●アサザと筑波山−霞ヶ浦/行方市浜へ
帆引き船と筑波山−霞ヶ浦夕景/行方市浜07/10/28。筑波山を背に夕日を帆に受けたほびき船は美しい。 ●帆引き船と筑波山−霞ヶ浦夕景/行方市浜のページへ
茨城の富士山(ふじやま)/石岡市柿岡、須釜 鼓ヶ峰と筑波山恋明書いばらきの富士山『鼓ヵ嶺』は三百数十年前の筑波山恋明書にも筑波山の名所として記述がありました。この山の麓には世界的な観測、研究施設があります。●茨城の富士山(ふじやま)へ/石岡市柿岡、須釜
吾国山洗心舘〜板敷山 尾根道/笠間市、石岡市吾国山洗心舘。県営の研修宿泊施設から稜線道石岡市板敷までおよそ7km。吾国山と板敷峠を結ぶ稜線道路。晩秋の自然林といばらきの山々が心にしみた小さな旅でした。●吾国山洗心舘〜板敷山 尾根道/笠間市、石岡市へ●(カテゴリー)筑波山、筑波嶺、筑波山と霞ヶ浦へ●吾国山洗心舘〜板敷山 尾根道/笠間市、石岡市へ
正法寺とヤマナシ幹周り1.5m/石岡市大増石岡市大増の正法寺には幹周り1.5Mのヤマナシの木が本堂の前にそびえている。寺の門前には源流を利用した小滝があり、水は門前を流れ、参拝は結界の小橋を渡って寺の門に入る。橋の脇には橋供養碑がある。寺には幕末期の主に江戸住人寄進百観音があり、ここを参拝すると西国、板東の札所を参拝した霊験があると伝えられている。●正法寺とヤマナシ幹周り1.5m/石岡市大増へ
水源地涵養林(かんようりん)きのこ山〜加波山 霞ヶ浦の水源地、桜川や恋瀬川源流にある「きのこ山〜足尾山〜一本杉峠〜加波山〜燕山」付近の森林は水源地涵養林(かんようりん)です。別のページではきのこ山〜足尾山にかけて述べましたが今回は足尾山〜一本杉峠にかけての森林の様子と落ち葉の状況を写真で捉えました。写真は道路(関東ふれあいの道、森林管理道路)から撮影しました。3日前から比べると広葉樹林帯は葉が黄色から茶色に変わり、葉は大部分落ちてしまいました。私たちが一番守らなくてはならないことは山林内への立ち入りを控えることです。車はできるだけ入口付近のの駐車場に置くことです。●水源地涵養林(かんようりん)きのこ山〜足尾山〜加波山へ◇リンク・関連のカテゴリー◇●(カテゴリー)筑波山、筑波嶺、筑波山と霞ヶ浦へ●)(カテゴリー)きのこ山〜足尾山〜丸山〜加波山〜燕山へ
恋瀬川愛郷橋付近。ふなせん、筑波山、夕日07/12 ◆愛郷橋付近の景観愛郷橋は恋瀬川河口、高浜に位置し、神立方面、石岡市三村・関川方面と石岡市高浜、小美玉市、行方市方面を結ぶ橋でかなり通行量があります。高浜の中心通りが通勤時間帯はかなり混雑します。このため長期計画で愛郷橋下流、高浜側の川沿いから山王川のところ橋付近まで道路を新設する工事が進められています。 霞ヶ浦高浜は常陸風土記にも詳しく描かれており、歴史的にも旧い場所です。橋の下に見えるふなせん・こいせんは鮒や鯉を捕る漁具で以前は至るところに仕掛けてありました。●恋瀬川愛郷橋付近。ふなせん、筑波山、夕日07/12 石岡市へ
宿り木、恋瀬川傍らの巨木に百株以上08/01 New!。 恋瀬川・石岡市の川べり近くにあるエノキの大木に宿り木が無数ぶら下がっていました。太陽が沈む刻、異様にさえ見えました。●霞ヶ浦の自然/宿り木、恋瀬川傍らの巨木に百株以上へ08/01
チョウゲンボウの幼鳥(タカ目ハヤブサ科) 霞ヶ浦から少し上流、常磐高速道下の側道にチョウゲンボウの幼鳥が休んでいました。このままですと車に直ぐ轢かれてしまう危険がありました。傍らへ誘導したのですけど・・・。詳しくは●▼ チョウゲンボウ 幼鳥 かすみがうら市08/01のページへ
>▼自然景観」宿り木と野焼き 外来種雑草「オオオナモミ」が増えつつある。河川の周りを短時間でも手入れすることによって防げる。●▼「自然景観」宿り木と野焼きのページへ08/01
雪の北向き観音堂と小野小町・石岡市小野越 前に二度ほど紹介しました小野小町、祈願の伝説のある北向観音堂の雪の日の風景です。●雪の北向き観音堂と小野小町・石岡市小野越のページへ
>▼田島遺跡と霞ヶ浦、恋瀬川 恋瀬川下流域の遺跡から漁労のあみに使われたと思われる土玉が大量に発見された。ここからは現在霞ヶ浦、恋瀬川もすぐ近く、当時は水域が現在よりも上流まであったのかも知れない。●▼田島遺跡と霞ヶ浦、恋瀬川2008のページへ2008/02
筑波山梅林・千本の梅満開筑波山梅林の梅が満開だった。(080318)約1000本、30種類の梅がむせぶような香りと共に揃って咲いていた。●筑波山梅林・千本の梅満開へ
旧茨城縣立土浦中学校本館・国指定重要文化財 旧土浦中学校本館・建物は現在の土浦一高内に保存されている。08/04/04木造一階建。建築面積987.9平方メートル竣工 明治37年12月7日訪れた時満開の桜がきれいだった。なお、真鍋小の桜はここから道路を隔てた近くにある。くわしくは・・●旧茨城縣立土浦中学校本館・国指定重要文化財
名木・向上庵350年のしだれ桜 土浦市鎌倉建長寺派の名刹"翠巌山、向上庵"は土浦市小野、(小野)小町の里近くにある。350年と伝えられるしだれ桜はみごとで訪れる人々の目を楽しませている。●▼名木・向上庵350年のしだれ桜 土浦市のページへ08/04
長楽寺・茨城県石岡市 テレビ時代ドラマ08/08 2008/08/08(sun.)テレビの時代ドラマを見ていたら加波山麓、石岡市やさと地区龍明(旧狢内)にある古刹長楽寺の場面が映っていた。寺は静かな自然の中によく溶け込んでいる。この寺ではよくロケが行われている。むかし、天狗が住んでいたと伝えられている。近くには畑の中に石があって牛頭天皇が祀られている。集落の形式の祭りは祇園祭と推定される。ドラマを見ていて「あっ!長楽寺だ」とわかりました。●長楽寺・テレビと映画撮影の多い古刹へリンク●長楽寺と畑中の天王様・稲荷神社2006へリンク
常陸国分寺跡(国特別史跡 ) 常陸国分寺は聖武天皇天平15年(743)起工し、天平勝宝4年(752)に成就建立された。(常陸府中鏡)天平勝宝4年5月常陸の守は従三位、宮内卿、百済の王敬福(くだらのこにきしけいふく)が任命された。都では東大寺が時をほぼ同じくして起工が始まった。常陸国分僧寺は最勝王経10部と僧20名、封戸50戸、水田10町、寺料は六万束で近江の国と共に最高であった。塔跡の七重の塔には金宇金光明最勝王経が配置され、金堂跡の礎石、講堂跡の礎石、中門跡礎石、回廊跡、仁王門跡がある。寺域は東西約270m南北約240mの規模であった。現在の山門は一九一九年三月旧千手院が国分寺との合併により廃寺となり国分寺に移された。常陸国国分僧寺跡(金光明四天王護国之寺) 金堂跡(現在の本堂に当たる) 講堂跡 中門跡 回廊跡 塔跡(七重の塔心礎) ↑【参考】(石岡市史、石岡の歴史、石岡の地誌) 現在の国分寺境内には杉などのほか桜の木が多くあって開花時には多くの人が訪れている。金堂跡や講堂跡、七重の塔心礎の礎石が木々の間に位置し、千数百年前の国分寺の姿が偲ばれる。千手院は国分寺の近くにあった舊い寺、真言宗菩堤山來高寺千手院と称し密教の霊場として、また、信仰の中心として末寺や多くの門徒があり、国分寺とは密接な間柄であった。↑【参考】(新編常陸国誌、常府古跡案内しるべ・山口仙栄 天明四年{石岡の地誌})●都々逸坊扇歌堂と都々逸扇歌の墓(詳しくは本ページを)●▼常陸国分寺跡(国特別史跡)へ →画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ] 記録日: 2008/08/26 石岡市府中・常陸国分寺跡 →画像表示 [ Lサイズ ] [ オリジナル ] 記録日: 2008/08/26 石岡市府中・常陸国分寺跡 kasumigaura.net ”霞ヶ浦の自然”or Nature of lake Kasumigaura by Suzuki Yasuo