石岡市府中五丁目・国分寺
「市指定有形文化財 旧千手院山門(建造物)」
所 在 地 石岡市府中五丁目1番
指定年月日 昭和五十三年九月十一日
千手院は、弘仁九年(八一八)、行基大僧正の弟子行円上人によって開基され、建長四年(一二五三)の第一一世心宥上人が没するまで続いたと伝えられる。その後の記録は残されていないが、天正元年(一五七三)には、京都東寺宝菩提院の禅我大僧正の弟子朝賀上人によって中興されたといわれる。
近世の千手院は、府中における大寺のひとつで、『新編常陸国志』にも「千手院、本寺東寺宝菩提院、朱印地十石、菩提山来高寺と号す。末寺二ケ寺門徒二十一ケ寺、又門徒二ケ寺あり、と記されている。これら千手院末の寺院は、その大部分が府中の町にあり、人々の信仰を集めたが、明治初年にはそのほとんどが廃寺となっている。
また、千手院も大正八年(一九一九)三月、国分寺と合併して廃寺となり、現在ではこの山門が残るのみである。
昭和六十年三月
石岡市教育委員会
石岡市文化財保護審議会
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