タイトル: タイトル一覧・霞ヶ浦の自然 動植物・地域歴史・筑波山・自然ほか: 霞ヶ浦流域の歴史と史跡 市町村: 石岡市 (登録日: 2007/03/17 更新日: 2011/12/10)
足尾神社・醍醐天皇が祈願した山頂の神社/石岡市◆足尾神社・足尾山627m「足尾山、万葉集。足尾山ハイキングコース」上曽峠→きのこ山→足尾山(627m)-丸山→一本杉峠→加波山コースは前のページで紹介させて頂きましたが足尾山にある足尾神社はむかし、醍醐天皇が夢枕でこの神社を知り祈願、足の病が全治したと伝えられる。足の病に霊験あらたかと伝えられ、多くの人々から信仰されたそうです。昔は深い山道を一日かけて登り、お参りしたそうです。また、むかし足尾権現は修験道場として名が通っていました。足尾神社本殿の脇の石には天狗が彫られてあり、加波山、足尾山、山麓と天狗の道場が多かったようです。又この社を式内夷針神社とする説があった。常陸國風土記には葦穂山とあり社のうちに石屋あり、という。以下茨城県神社誌神社誌法人(旧郷社)【鎮座地・石岡市大字小屋字足尾山一 (旧新治郡郡葦穂村、後八郷町) 【祭神】国常立命、面足命、惶根命 (配祀)過遇突智命 【境内神壮】大杉神社、一名杉室神社(常陸坊海尊) 【由緒沿革】神体鏡、創建年代不詳。往昔の葦穂山(おばつせ山)にして海抜六二七米の高山に鎮座。醍醐天皇御足痛の折この神を霊夢に知り、御祈願すると忽ち全快したので白紙に御足形を印し「日本最初足尾神社」と勅額を賜る。これよリ足尾山と改称したと伝えられる。「足形の御影」と判木に形容し崇敬者に授与す。野火のために一切を焼失したので、寛正五年六月嵯峨御所へ申し出たところ再び勅額と菊桐御紋入り嗽石の下賜あり。当時の御立会井関大郷外四名の令旨書現存。足の諸病になやむ者の参詣多く全快後鉄の草履を奉る風習あり。文治の初め源義経の臣、常陸坊海尊この山にこもり、杉室で仙術修法、山中八百余神を祀り、衆人神窟登拝の途をひらき、源平の戦に勇名をとどろかせたと伝ふ。足尾権現と尊称し修験道場として著名。又当社を式内内夷針神社とする説あり(弘安三年八月長歌)天保十四年一月社殿焼失、その復再建、明治六年四月郷社に列格。同四十二年村内上曽愛宕神社を合併。昭和二十七年十月六日宗教法人設立。《茨城県神社誌》 万 葉 集 常陸国歌 筑波ねに そかひに見ゆる あしほやま あしかるとかも さね見へなくに 現 在 六 帖 家 隆 桜花 ふくやおらしの あしほ山 そらになひく 峰のしらくも 風 土 記 国風歌 こちたけば をばつせやまの いはきにも ゐてこもらなむ なこひそわぎも 茨城県神社誌》 茨城県神社庁s46発行